町長日記(令和3年)

更新日:2023年03月29日

メダルケース故郷へ(令和3年12月)

11月11日、この夏開催された東京オリンピック・パラリンピック競技大会で、選手に授与されたメダルを収納するケースが、津別町に送られてきた。
令和元年8月2日、毎年夏に行われるオホーツク圏活性化期成会の中央要請活動に合わせ、鹿中議長とともに東京晴海にある競技大会組織委員会オフィスを訪問した。国際渉外部長に面会し、何とか津別町の木工会社が製作したメダルケースを、記念にいただくことはできないかとお願いした。
通常、金銀銅のメダルは、ケースとともに開催国(日本)と開催地(東京)に贈られるようで、ケースだけというのは聞いたことがないということだった。しかし、「気持ちはよく分かります」と、こちらの願いを受け止めていただいた。あれから2年。突然、組織委員会から役場に連絡が入った。津別町と道庁とオホーツク総合振興局に、オリンピックとパラリンピックのメダルケースをそれぞれ一つずつ送りますとの連絡だった。津別町の願いをちゃんと覚えていてくれたことに感謝した。
11月15日、東京で開催の全国過疎地域連盟定期総会に合わせ、晴海のオフィスを再度訪問した。2年ぶりに渉外部長にお会いし、改めてお礼を述べた。大会終了とともに、組織委員会はひと頃よりかなり職員は減ったが、残務整理に来年6月頃までかかるという。「東京オリンピック・パラリンピック大会」に使用されたケースを製作した町としてPRしたいところだが、営利につながる表現は禁じられている。新聞・テレビではずいぶん報じられたが、これは報道の自由によるもののため可となる。
記念として送られてきたメダルケースは、役場の応接室に置くと限られた人しか見ることができない。そのため、一階フロアに置くことにした。町民の皆さんには、ぜひ本物の素晴らしさを見ていただきたい。

4352人(令和3年11月)

9月27日、百歳を迎える高齢者に対する菅総理大臣からの祝状と記念品の銀杯をもって、本照寺修田さん宅を訪問した。
住職から「どうぞ」と促され、居間のソファーに座り、よもやま話をしていると、住職は立ち上がって一枚の紙を持ってきた。かつて本岐地区が賑わっていた頃の運動会の様子を撮った写真のコピーだった。その横に昭和34年当時の津別町の小学校と中学校の生徒数が学校ごとにメモされていた。
役場に戻って改めて町史を開いてみた。津別小1444人、本岐小375人、相生小268人、活汲小179人、恩根小89人、上里小110人、東岡小66人、最上小73人、美都小62人、二又小67人、布川小48人、新最上小11人、沼沢小28人、栄小37人で、14校73学級に2857人の子どもたちが学んでいた。
中学校は津別中596人、本岐中157人、相生中114人、活汲中70人、恩根中45人、上里中25人、東岡中22人、最上中25人、二又中20人で、9校32学級に1074人が在校していた。小中校合わせると3931人で、これに津別高校全日制302人と定時制119人を加えると、実に4352人で、現在の津別町の人口に匹敵する。今は、小中高ともそれぞれ1校ずつとなり、小学校175人、中学校69人、高校45人の合計289人で93%減少している。
10月8日、札幌市で地域連携特例校(旧地域キャンパス校)等再編整備意見交換会が開催され、所在地の町長が出席した。令和4年度から6年度の「公立高等学校配置計画」では、留辺蘂高校が募集停止、美幌高校が1学級減になる。津別高校を含む地域連携特例校は、第1学年が20人以下となり、その後も生徒数の増が見込まれず5年を経過すれば、再編整備の対象としたいと新たに提案された。各町長から懸念と反論の声が上がった。

NK細胞が増える(令和3年10月)

新型コロナウイルスワクチン集団接種は、8月21日をもって終了した。津別病院の絶大なご協力を得て、5月14日から町民会館を主会場に、65歳以上の方から順次接種を行った。これ以降は、10月末まで津別病院で接種が行われているが、9月21日現在、2回接種者は3655人、接種率88・1%となっている。
8月14日土曜日、ノンノの森ネイチャーセンターにランチを食べに出かけた。すると、マスクのため確信を持てなかったが、見たことのある人がいた。もしやと思い森の散策を終えて戻ってくるのを待った。やはりそうだった。オホーツク総合振興局長だった。ご夫婦で森林浴を体感されていたようだ。ネイチャーセンターを運営するNPO法人「森のこだま」の上野代表ご夫婦を交え、3夫婦でしばらく立ち話をした。
その折、上野さんからNHKの朝ドラ「おかえりモネ」の影響で、北海道内唯一森林セラピー基地のある津別町をネットで探しあて、子どもの夏休みの自由研究の題材として、ずいぶん多くの家族連れがやって来たと聞いた。
森林セラピーは、人間の体内にナチュラルキラー(NK)細胞を増やし、免疫力を高める効果があると言われている。平成23年4月に基地として登録され、これを祝う形でその年の6月、医師・登山家である今井通子さんと登山家の田部井淳子さんに来町いただき「山ガールシンポジューム」を開催した。その中で、今井先生は「森林浴でストレスが見事に下がる。NK細胞がガーンと上がり、がん細胞や感染症細胞を食べてしまう」と話された。新型コロナウイルスも食べてもらうとありがたい。
また、女性として世界ではじめてエベレスト登頂を果たした田部井さんは「雨があるから虹が見られる」と話された。今にして思うと、アフターコロナ、ポストコロナを思わせる話にも思える。

夢を応援する老人に(令和3年9月)

コーチャンフォーをブラブラしていると、フリーライター林美保子さんの『ルポ 不機嫌な老人たち』という本が目に留まった。林さんは高齢者関連の社会問題をテーマに取材活動を続けている方で、北海道出身である。自分も老人の一人であるが、感じ入ることが随所に書かれていた。
「高齢者の皆さんは本当に元気です。でも、都合が悪くなると老人になる。体が弱いとか、もうろくしちゃってとか言えば許されると思っているんです」「若いときには、人は年を重ねるほどに人間ができていくものだと考えていた。自分よりも10歳も20歳も上の人はみな、分別のある大人に見えた」「どんどんできないことが増えていくので、怒鳴って暴言を吐くことでプライドを保っているのではないかしらとケアマネは言っていた」「高齢者は日々たくさんの喪失と向き合わなければならないのです。定年になって仕事を失ったり、家族を病気で失ったり、計算が遅くなったり、耳が聞こえなくなったり、物忘れが始まったりして、昨日できたことができなくなることが増えてきます」と続く。
以前、高齢者の運転は自分本位になりがちで、他のドライバーが別の意図で行った行動を自分のためにしてくれた行為だと錯覚して起こすサンキュー事故が増えていると聞いたことがある。まち中でキレる老人、カスタマーハラスメントをする老人、地域活動にビジネス感覚を持ち出す老人、家庭で威張る老人、施設で威張る老人、店員相手に長話をする老人たちがいる。林さんは、それは元気で暇で心が退屈しているからだという。
では、老人はどんな生き方をすると喜ばれるのだろうか。それはたぶん、請われれば控えめに自分の役割を果たす老人、若者の足を引っ張らず夢を応援する老人、として未来をつくる手伝いをすることではないだろうか。

ご当地ものミステリー小説(令和3年8月)

十津川警部と亀井刑事がPCR検査を受けた。これは文藝春秋社から発売された西村京太郎トラベルミステリーの最新作『石北本線殺人の記憶』の1コマである。
JR北海道が運営する鉄路の一つ石北線は、国や道のほか周辺市町の支援を受けながら列車を走らせているが、コロナウイルスの追い打ちにあい、すこぶる厳しい経営を強いられている。
今回発売のミステリー小説は、そのことにも触れながら物語が展開し、津別町もかすめていく。北見バスが運行する北見・釧路間の都市間バス「釧北号」が、連続殺人事件のトリックに使われている。「釧北号」は、北見バスターミナル1番乗車口から出発し、次の停車場である津別町に向かう。その後、阿寒湖バスターミナルで休憩し、7つの停車場を経て終点釧路市内の阿寒バス本社に到着する。小説では、時刻表の表示は主要な停車場に限られ、津別バスターミナルは含まれていなかった。もし書かれていたなら、少しは町のPRになったのではと残念に思う。
このほか、津別町を舞台にしたミステリー小説は、平成11年に徳間書店から吉村達也の『銀河鉄道の惨劇』(上下)が出版されている。チミケップ湖を舞台にした小説で、津別町役場の町民課長が帯広市に出張する際、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の列車内で謎の死を遂げる。津別と北見で実際に起こった事件も織り交ぜながら物語は展開するが、横溝正史のようなやや怪奇ものに近い小説だった。
平成19年には、西武グループが経営する津別スキー場が閉鎖になり、これがテレビ番組「報道特集」で取り上げられた。その際、活汲小中学校のリコーダー全国大会金賞受賞が、地域の明るい話題として添えられた。この番組を作家の水野宗徳が見ていた。『森のマジョとリコーダー』と題した小説・映画化が企画されたが、いまだ実現していない。

脱帽(令和3年7月)

自宅の庭の松やライラックがのび放題だったので、今年は剪定しなければと思い、シルバー人材活用センターに申し込んでいたところ、御年99歳の山本峯雄さんが派遣されてきた。
久しぶりに五月晴れになった朝7時半、白い軽自動車をスーッと庭の土留めに沿って駐車し、しっかり脚立を固定したかと思うと、山本さんはすぐさま松の剪定にとりかかった。実に軽快な身のこなしで黙々と作業が進められた。94歳になる同居のおふくろにそのことを伝えると、町の寿大学に入学していたころたいへんお世話になったと、庭に出て話が始まった。私も「元気ですね」と声をかけると、「年齢に差があっても寿大学や老人クラブでの人との交流が元気の源になっている」とおっしゃられた。剪定バサミとノコギリを自在に操る様子に脱帽である。
「健康寿命」という言葉がよく使われる。健康である期間が長ければ、増え続ける医療費を削減できるという意味合いが含まれている。しかし、医療界では、健康寿命が延びても医療費は減らず、寿命が延びれば生涯医療費は増えると言われている。日本は経済成長に伴い生活水準や衛生水準が向上し、医療サービスの普及と医療技術の進歩により平均寿命が大きく延びた。だが、健康寿命を延ばすことは、老化のスピードを遅らせることはできるが、医療費の削減にはつながらないようだ。そうすると、健康寿命を長くすることは、「人生を楽しくするため」ということになるのではないだろうか。
毎年、老人の日の記念行事として、百歳を迎える高齢者に内閣総理大臣からお祝い状と記念品が贈られる。これらは各市町村の首長が総理大臣に代わって届けることになっている。来年は、山本さんに届けることになるが、私がこれまで出会った高齢者の中で、一番元気な方である。山本さんはたいへん質の高い人生を送られている。

新庁舎オープンと未来(令和3年6月)

コロナ禍の中、5月6日に関係者の方々においでいただき、ささやかに新庁舎の開庁式を行った。築63年の老朽化した旧庁舎から連休中に引っ越しを終え、すばらしい晴天の日にオープンを迎えた。
新庁舎は、愛林の町を宣言していることを大いに意識し、できる限り木の町にふさわしく木材を利用することを基本に、コンクリートとのハイブリット工法で建設された。使われた木材の88%は津別産で、合板は地元丸玉木材株式会社製造のものが92%使われている。執務机や応接セットなどは、東京オリンピックのメダルケースを受注した地元の木材加工会社が製作した。また、暖房用燃料は津別町ペレット協同組合製造のものを使用し、町が目指す循環型社会の一翼を担う。4月に、時事通信社からまちづくりに関する取材を受けたが、記者は新庁舎の外観を見て、「一般的に想像する役場庁舎とは違い美術館かと思った」と感想を述べた。
新庁舎の建設構想時には、高知県梼原町を参考に、JAや銀行なども合築した建物を検討したが、住民説明会などを経て結果として社会福祉協議会を加えた複合庁舎となった。JAつべつはちょうど1年前に新庁舎近くに新事務所を建設したが、今後は旧JA事務所や旧役場庁舎を解体し、スーパーや図書館などを建設してまちなか再生を目指す。
11年前に作られた第5次津別町総合計画が終了し、昨年から第6次総合計画がスタートした。ここには、第5次総合計画から引き継がれた目指すべき10年後の町の姿が描かれている。IT技術が日々進化する中、計画策定時に想像した未来は、10年を待たず駆け足でやってくるのかも知れない。
人口は1960年以降、61年におよび減少し続けているが、この流れを数年で変えることは難しい。しかし、未来をけっして諦めず前へ進んでいきたい。

幸町ストリート(令和3年5月)

3月14日から20日までの1週間、町内の幸町通りを舞台に「リノベーションウイーク」が開催された。この通りには間もなく開業するカフェを含め、3軒の空き家がリニューアルされている。
リノベーション順には、1軒目が戦時中に建てられた商事会社がコワーキングスペースに、2軒目は電気屋さんがゲストハウスに、そして3件目は機械店がカフェに改修され、それぞれ千葉県、群馬県、茨城県からの移住者によって運営されている。この他、大通りには呉服店を改修したカフェ、活汲には旧小中学校を改修した木工ショールームがすでにオープンしている。
まず、テレビ番組「男旅」でも紹介されたゲストハウス「なんもなんも」を訪問し、元地域おこし協力隊の女性と雑談。コロナ禍で思い描いていた運営はできないでいるが、持ち前の明るさで笑い飛ばしていた。ここで、おもしろい情報を得た。現在カフェに改修中の機械店の内壁を剥がすと、昔の新聞に包まれた壁材が現れ、その新聞には『樺太新聞』と書かれていたという。ちょうどその日は休みだったため見学できなかったが、日を改めて見せていただこう。
またこの他、旧スポーツ店を改修し、町民が作った手づくり品を販売したり、冒険心をくすぐる子どもの遊び場もつくられていた。そこで説明を受けていると、町民ではないと思われる男性が、「リノベーションガイドブック」が欲しいと入ってきた。この本は「リノベ指南書」とでもいうべきもので、これまで事業に携わった長野県の1級建築士監修の本である。
次に、この幸町通りのイベントに協賛した菓子店に立ち寄り、特別販売のアマビエを購入した。アマビエは140年ぶりに現れた妖怪で、疫病退散の御利益があると言われている。妖怪和菓子は白餡を包んで可愛らしい顔に仕上がっていた。新型コロナウイルスの退散を念じながらいただいた。

愛読誌再び休刊に(令和3年4月)

地域づくりはおもしろい、地域を学び、地域で遊ぶためのヒューマンネットワークマガジン『カガリ火』が、今年8月に発行予定の200号をもって休刊になる。と197号の紙面で知らされた。
この雑誌は昭和62年に創刊され、平成21年に経営困難で休刊となったが、読者の惜しむ声と1千万円のカンパが集まり、再び発刊され今日に至っている。この雑誌との出会いは、オホーツク管内の町おこしグループ「オホーツク寒気団」の入会がきっかけだった。だからもう30年近くになるだろうか。このグループには人生に前向きな人がたくさんいて、ほとんどの人がこの雑誌を愛読していた。
まだ新型コロナウイルスが日本に出現していなかった令和元年10月、東京の政策研究大学院大学を会場に、「カガリ火復刊10周年記念フォーラム」が開催され、全国各地から愛読者が集まった。このフォーラムの一コマに、首長サミットが設けられ、ニセコ、斜里の両町長とともに招待された。与えられたテーマは、「人口減を笑い飛ばす」だった。
今回手にした197号の編集後記に、このように書かれていた。「緊急事態宣言が延長されて甚だ不便だけれども、それでも日本は一番いい国だ。日本に生まれて良かったとつくづく思っている。スイッチを押せば電灯はつくし、蛇口をひねれば水は出る。郵便を出せば間違いなく届くし、宅配もきちんと配達される。電車は走っているし、スーパーマーケットには新鮮な野菜や魚が豊富に並んでいる。GoToトラベルなど政府の不手際を指摘しても拘束されないし、街角に武器を抱えた兵士がたむろしていない」。
発行人の菅原歓一さんは、識見豊かでユーモア溢れる魅力的なじいさんだ。職員時代に津別で取材を受けたことがあるが、寄る年波ということだろうか、ぜひまた奮起して復刊してほしい。

e‐Taxに挑戦(令和3年3月)

いつもは税務担当職員の手を借りて確定申告書を作成していたが、今年はマイナンバーカードを使って自分で行ってみた。
まずは下書き用紙で作成し、同じ答えが出るかチェックすることにした。自宅でパソコンを開き、ずいぶん前に買ったカードリーダーをつなげてみると、マイナンバーカードに対応するものではなかった。新たに購入するため家電量販店を訪れ、カードリーダーの販売コーナーに行くと様々なメーカーのものが売られていた。毎年合宿にやってくるNTTコミュニケーションズ製のものを迷わず購入した。
日曜日に家でいよいよ作業開始。まず最初にパソコンで国税庁の動画チャンネルをチェック。分からなくなったときに備えて必要な手順をメモした。申告書を作成する前に行う事前準備が結構面倒だった。「利用者識別番号」や「電子証明書」の登録など、作成に行き着くまでにかなりの作業が待ち構えていた。画面に首ったけで作業を進めるにつれ、途中で分からなくなったらどうするなどと不安が膨らんでいった。
それでも何とか申告書作成画面にたどり着いた。必要事項を打ち込んでいくうちに、税の仕組みを改めて知ることもあった。次に妻の分を作成したが、これはスムーズにいった。それでもすべてが終了するまでに3時間ほどかかった。パソコンの動作環境の改善もしながら進めていったため、先に作っておいた手順メモはあまり役に立たなかった。
簡単ですよとよく耳にするが、高齢者にとっては、なかなか難解な作業だと痛感した。もう少し簡略化できないものだろうかと思う。うまくいかなくなった時のために説明コーナーも表示されるが、これを読みながら進めていくにはかなり集中力がいる。むろん、網走税務署に申告書の送信を終えたときは達成感も感じたが…。

出初式と成人式(令和3年2月)

長引く新型コロナウイルス感染症対策のため、1月5日の出初式は中止し、成人式は5月2日に延期することとした。
今年の出初式は、いつもより待ち遠しく感じていた。消防団員の確保が困難な昨今、昨年12月に、女性1名を含む4名の役場職員が入団し、先に入団していた1名を加え計5名が津別消防団に加わった。制服を着込んだ彼らが、先輩消防団員とともにきびきびと分列行進する姿を想像し、「いいぞー」と一声掛けたくなる気分になっていたからである。これまで長く消防団員としてご尽力いただいた津幡団長が昨年11月に退団され、菊池新団長がはじめて取り仕切る出初式だったが、初夏に行う消防演習など、今後の消防行事にその力を存分に発揮していただきたい。
成人式は、人によっては1年も前から晴着の予約をしていた人もいたのではないだろうか。何とか開催できないかと考えたが、いつまでも様子を見ていては、新成人の皆さんには迷惑な話である。新型コロナウイルスの感染者数が20万人を越え、変異したウイルスも入り込み、人の動きを止めて欲しいと訴える医療関係者の姿を目にし、内部協議の結果延期することにした。3月下旬ころからワクチン接種が始まると伝えられている。5月には様相が少し変化しているのではないだろうか。とそんな願いを込めて延期した。
これまでの成人式で、特に印象に残っているものがある。平成26年の成人式である。式の終わりに、参加した45人の新成人がステージに上がり、「恋するフォーチュンクッキー津別版」の撮影に協力した。晴着姿で登壇した若者たちは、曲に合わせて楽しそうに踊った。その光景は今でも鮮明に思い出される。動画は、その年の3月4日にユーチューブで発信され、アクセス数は78000回を超えている。こんな楽しい成人式が、また行えるよう願うばかりである。

高大連携リモート発表会(令和3年1月)

12月5日、今年で4年目になる北海道大学課外活動団体HALCC(ハルク)と津別高校による高大連携事業の発表会が行われた。いつもは中央公民館で一般公開していたが、コロナ禍の中、今年はリモートでの開催となった。
そもそもこの北大生との高大連携事業のキッカケは、平成28年3月に行った「アイデアコンペ」にさかのぼる。平成27年度から始まった地方創生事業の一環として、「この町はしんどい」をキャッチフレーズに、町を再生するアイデアを全国に募った。これに遠くは台湾の女性からの応募も含め、77件が寄せられた。その中から12件を選定し、町民公開のもとプレゼンテーションを行った。その結果、たいへん元気な北大生2人による「アクティブラーニングによる中高一貫教育」が優秀賞に輝いた。彼らは、その後、津別町とのつながりを深めハルクも組織され現在に至る。この頃、筑波大学との連携事業も行っていたことから、高校生たちは実りあるすばらしい時を過ごすことができたと思う。
今年の活動は、コロナの影響でオンラインによるものが多くなったが、高校生たちはハルクの皆さんとともに、「理想の未来」について合同ワークショップを繰り返し行った。大学生の指導を受け、高校生たちは人前で話をすることが本当にうまくなった。提案は様々だった。「有害生物駆除に外国人ハンターの活用」「モータースポーツが行われる町」「LGBTの人への対応」「自然エネルギーを使ったロードヒーティング」「役場からニコットまでのフリーWi-Fiロード」「健康寿命の長い町」などよく研究していた。
また、やってはいけないこととして、「価値観の押し付け」「差別」「虐待」「無視」「ごみのポイ捨て」なども挙げられていた。10年後、20年後の自分を想像しながら、津別町への貢献を考える彼らの発表を聞き嬉しくなった。

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