町長日記(令和6年)

更新日:2023年12月26日

自動運転バス試乗(令和6年12月)

秋も深まる9月25日と26日の両日、北海道町村会移動理事会が上士幌町で開催された。
会議の前に実証実験中の自動運転バスに試乗した。行き先は市街地から道の駅まで。一度に6人ほど乗り込み、説明に町の担当者が同乗した。バスには運転席がなく、両サイドに向かい合って座り、速度は19キロほど。信号もきちんと認識し、道の駅のバス停へと向かった。
道の駅前にある大きな駐車場から、歩道を渡る人がいた。バスは歩行者を認識して停車したがブレーキは強めで、少し腰が浮いた。続いて来た歩行者は、運転手のいないバスに躊躇したのか、歩道を渡りかけてはやめる行動を二度ほど繰り返した。そのたびに急ブレーキの連続だった。人間が運転していれば「お先にどうぞ」と手や目で合図しただろうが、これも課題の一つなのだろう。改良を重ね実証運行が続いている。
上士幌町は人口4800人の町で、津別町より800人ほど多い。平成27年に開始した地方創生の取組で、人口のV字回復を実現している。またSDGsの理念の下、エネルギーの地産地消、地域の稼ぐ力のアップ、人の都市と地方の循環、ICTを活用したスマートタウンづくりが進められている。中でもデジタル化が積極的に取り組まれていて、津別町でも行っている紙の無料バス券や入浴券はマイナンバーカードに組み込まれていた。スマートフォンを使って、バスの走行現在地の確認や、コインランドリーの込み具合がリアルタイムで確認できるなど、さまざまな便利な情報が一つのアプリで得られるようになっていた。
上士幌町は年間15億円にも上るふるさと納税収入を得ている。しっかりした財源が確保できれば、さまざまなハード、ソフトを含めたより良い社会インフラの整備が可能になる。津別町はまだ1億円に満たない。

全国まちづくり交流会(令和6年11月)

9月27日から29日にかけ、第20回全国まちづくり交流会が、津別町で開催された。この交流会には24都道府県から150名ほどのちょっと変わり者の人たちが集まり、遠くは与論島からもおいでいただいた。
第1回は平成15年に愛知県足助町(現豊田市)で開催され、コロナ禍で中断した年もあったが、今回最終回として津別町での開催となった。受入れは、実行委員長の篠原眞稚子町議や私も会員である、管内のまちおこしグループ「オホーツク寒気団」が中心となり準備を進めた。これに津別町はヒト・モノ・カネの支援を行った。オホーツク寒気団は過去に、阪神淡路大震災で被災した子供たちのホームステイの受入れや、車いすでオホーツクを旅する人たちのために『車いすガイドマップ』を発刊するなどの活動を行ってきた。
28日の大交流会では、津別町から3氏が事例発表を行った。Uターン者の山上裕一朗氏から「津別から世界へ山上木工のチャレンジ」、Iターン者の上野真司氏から「潜在資源で観光振興森のこだまの取り組み」、同じくIターン者の都丸雅子さんから「旅人と地域を繋ぐ交流拠点」と題して発表された。3人の語りは素晴らしく、じっと聞き入ってしまった。この事例発表を聞いた町民の方から「いやー良かった」と声をかけられた。夜の交流会では、全国からの参加者からも多くの賛辞をいただいた。「津別って前を向いている人がいっぱいいる」「引き抜きしたいがいいか」「こんな人たちをどうやって集めた」などと話しかけられ、誇らしく思えた。
今回の交流会をもって最終回となることを、参加者の皆さんは大変残念がっていた。またどこかで何かの形でつながりたいという思いが伝わってきた。町外、特に道外から参加された方は、北海道という言葉を聞くたびに、きっと津別町を思い出すに違いない。
 

再開つべつふるさとまつり(令和6年10月)

9月9日、10日の両日、第29回ふるさとまつりが5年ぶりに開催された。
昨年実施した住民満足度調査の項目に「おまつりの取組について」がある。前回令和3年の調査では「満足+やや満足」が74.9%だったが、今回は67.9%になり、「不満+やや不満」が12.2%から20.0%になった。
毎年津別町では、実行委員会形式で大小様々なイベントが開催されている。その一つ「ふるさとまつり」が、4年間開催されなかったことが数字にはっきり表れたようだ。今年は再開に向け、町民の有志が声を掛け合い開催にこぎつけた。津別神社例大祭の方も実行体制を整え、寄附集めに奔走され、この日を迎えるためご尽力された方々に心から敬意を表したい。
神社近くのまつり会場には41のブースが設けられ、焼き鳥、ハンバーガー、チョコバナナ、かき氷、綿あめ、ジェラート、ビールなどの他、ゲームコーナーも設けられ、多くの町民が2日間にわたって食欲の秋を楽しんだ。店を眺めながら歩いていると、「町長、やっぱりまつりはいいね」と声をかけられ、子どもたちからは「こんにちはー」とか「オッス」などと声をかけられた。
神輿の渡御も5年ぶりに行われた。津別神輿会「鹿鳴郷」を中心に地元高校生や、他市町村の神輿会も肩を入れに駆けつけ、セイヤ、ソイヤの掛け声が町に響き渡った。これに合わせ、子ども神輿や伝統芸能「駒踊り」も子どもたちの力で復活した。
今回の「ふるさとまつり」の一方で、残念ながら毎年10月に開催されていた「産業まつり」は終了になった。これは人口減少とともに、イベントを実行する部隊への負担が増大していることが大きな理由である。イベントの数も多いことから、少し絞りながら楽しむ環境が持続できればと思う。

すみません垢こすりまで(令和6年9月)

8月4日日曜日の夕方、入浴と夕食を兼ねてランプの宿に向かった。ホテル前の駐車場はほぼ一杯で、他府県ナンバーの車も数台あった。いつも通りフロントで助成券と入浴料を渡し、入浴後に食事ができるか尋ねると、残念ながら?この日は宿泊客で満席だった。
大浴場と露天風呂には、カラフルな椅子が置かれ、シャンプーなどのセットも新たなものに変わった。湯船につかって天井を見上げると、綺麗に清掃が行き届いている。新型コロナウイルスが猛威を振るっていた頃、毎年一回は風呂の特別清掃をしようということになり、その効果ははっきり表れていた。
洗い場で体を洗い始めると、「町長、背中流してあげるよ」と言って近づいてきた御年88才になる井村さんが、鏡に映った。一旦は遠慮したが、何度も声をかけてくれるので、ご厚意に甘えた。垢こすりまでしてもらい恐縮した。脱衣所でしばらく話したが、免許も返納し、家族の車に乗せてもらい時々温泉を楽しんでいるという。思わぬ出来事に、帰り道はいつになくすっきりハンドルを握った。
今年の秋、大空町、美幌町、津別町が中心となり「屈斜路カルデラトレイルルート」が開通する予定だ。いずれは、釧路市からこのカルデラルートを通って、羅臼町までの350キロに及ぶ「北海道東トレイルルート」が開通する。また、来年は上里地区が阿寒摩周国立公園に編入されるよう、いま多くの関係機関の協力を得て津別町エコツーリズム協議会が始動し始めた。
屈斜路湖や知床連山の自然景観を眺めながら散策したのち、ツルツルした美肌の湯と美味しい食事を楽しんでほしい。ランプの宿は、今後時間をかけて改修を予定している。旅人に思い出深い宿として、そして町の良さをしっかり記憶にとどめてほしいと願っている。

空飛ぶ中学生(令和6年8月)

7月20日、定刻10時15分発HAC4368便は、津別中学校2年生の生徒31人を乗せ、女満別空港を飛び立った。これは、日本航空北海道支社が実施する「ふるさと教育チャーター事業」で、上空から自分たちの住む町を見つめ、町の魅力を再発見する50分ほどのチャーターフライトである。
津別町は1919年に美幌村から分村し、戦後間もない1946年に町となり、森林が86%を占める森の町である。今回搭乗した中学生は、ほぼ2010年生まれ。その3年前には、大資本が建設した津別スキー場が閉鎖になった。いま、ゲレンデには植林されたエゾ松が成長を続けているが、その名残も上空から見てほしかった。
この日は青空に恵まれたものの、大きな雲の塊も多く、特に津別峠上空あたりは残念ながら雲に覆われてしまった。飛行機は小清水町、清里町の上空を飛行し、知床岬で女満別空港に向けUターンした。上空から見る農村地帯の、区画整理された圃場の美しさに目を奪われた。グリーン、イエロー、オレンジのコントラストが素晴らしかった。フライト中に、職場体験の一環として、4人の生徒が順次機内アナウンスを行った。流暢な英語のアナウンスはなかなかだった。着陸後は、地上勤務の体験も行われた。
津別町に生まれ、津別小・中学校を卒業した子が、いまANA(全日空)のパイロットになっている。以前、彼が操縦する女満別発千歳行きの飛行機に偶然乗ったことがあった。機内アナウンスの最後に副機長の名が告げられ驚いた。着陸してふと操縦室に目をやると、笑いながら手を振っていた。後日の出会いでそのことを伝えると、搭乗の際に私を見たと言っていた。今回飛行体験した中学生の中に、将来パイロットやキャビンアテンダントを、あるいは、いつか津別町で働くことを目指す生徒がいてくれたらうれしく思う。
 

友好都市二水郷から訪問団(令和6年7月)

5月28日、友好都市台湾彰化県二水郷から、旅行会社の添乗員を含む28名の訪問団が久しぶりに津別町にやって来た。滞在は2日間だったが、残念なことに天候に恵まれなかった。気温30度の台湾から、一桁の気温の津別町は、かなり寒かったと思う。訪問団の中にはダウンジャケットを着ている人もいた。
一行は5月26日、千歳空港からバスで十勝川温泉、阿寒湖畔温泉へと移動し、28日朝、津別町役場に到着した。多くの職員で横幕を持って熱烈歓迎した。蘇郷長は木をふんだんに使った庁舎を見て、これを見ただけでも来た価値があったと大変喜んだ。この後、ウッドリーム、中学校、ツクールなどを見学し、翌日札幌に向かう日の早朝に、津別峠からの雲海を見る予定だったが、雨もあり残念ながら中止になった。中央公民館での歓迎会では山鳴太鼓や大正琴の演奏を楽しんでいただいた。
6月1日、北見市の河川敷で常呂川・網走川総合水防訓練が行われ、国土交通省事務次官、北海道知事も出席し大規模な訓練が行われた。訓練終了後の昼食会で、流域の市長、町長からそれぞれ最近の話題提供を行った。そこで津別町は二水郷からの訪問団の話をさせていただいた。
特に水防訓練だったことから、川に因んだ話として、二水郷砲水祭と日本の台湾統治時代にダム建設と1万6千キロにも及ぶ給排水路を完成させた八田與一のことについて触れた。昼食会が終わり解散するとき、国土交通省北海道局の課長から声をかけられた。「まさかここで八田與一のことが話題になるとは思わなかった」と。課長は毎年台湾で行われている「八田與一祭」に参加したという。思わぬ繋がりができた。
来年、津別中学校の生徒が二水郷を訪問し、現地の中学生と交流を深める予定である。見聞を大いに広げて欲しいと思う。

ゼロカーボンシティ宣言(令和6年6月)

国はゼロカーボンを実現するため、再生可能エネルギーの導入や省エネを推進し、2050年までに脱炭素社会の実現を目指している。これを受け今年3月議会で「津別町ゼロカーボンシティ宣言」を行った。
津別町は平成19年に「バイオマスタウン構想」を策定して以降、翌20年に「地球温暖化対策実行計画」、25年に「森林バイオマス熱電利用構想」、26年に「環境基本計画」、令和2年に「第6次総合計画」を策定し、愛林のまちの特性を生かした木質バイオマスを中核に据え、脱炭素の取り組みを進めている。
では、津別町の二酸化炭素の排出量と吸収量はどれくらいなのか。環境省の自治体排出カルテによると、令和2年の津別町の排出量は9万トンで、吸収量は同じく環境省の地方公共団体実行計画策定・実施マニュアルの算定手法により計算すると、29万2千トンとなる。つまり津別町の森林は排出量に対し、3倍近くの吸収力を持っている。
こうしたことから、今更「ゼロカーボンシティ宣言」をするのではなく、むしろ「マイナスカーボンシティ宣言」をすべきでは、との意見もあったほどだ。このように津別町は地球温暖化対策に大きく貢献している。
津別町で特筆すべきは、地元企業・丸玉木材株式会社の取り組みである、平成19年に工場から出る木くずを燃料として、熱と電気を供給するバイオマスエネルギーセンターを建設した。これにより原油換算で年2万4千キロリットルの化石燃料を削減している。
行政も、地元民間企業で構成するペレット協同組合からペレットを購入し、多くの公共施設で活用して化石燃料の削減に努めている。昨年は木質バイオマスセンターを建設し、チップの供給を開始。新たに建設した公共施設の他、農業にも活用している。取り組みは今後もさらに続く。
 

若者の公務員離れ(令和6年5月)

数年前から、役場や市役所に就職して早期退職する若者が増えている。また、そもそも自治体への就職を志望しない若者が増えている…と聞かれるようになった。その理由について全国町村会から毎週発行される『町村週報』のコラムで、早稲田大学稲継教授はこう述べている。
一つ目に、民間企業の採用スケジュールとの時期に大きな乖離があること。二つ目に、学生たちの就職観で最も多い「楽しく働きたい」というニーズを満たしていないこと。三つ目に、年功給的な給与カーブを若者が忌避していること。四つ目に、組織内で自己成長をと考える若者の選好に十分応えられていないと分析している。そして今の時代、辞職を決断した後は、転職エージェントが次の就職先を簡単に見つけてくれる。
では、津別町のような過疎地の場合はといえば、公務員だけに限らず、「友達ができない」ことも早期退職の要因として考えられる。地元出身であれば家族はもとより友人知人もいるが、町外から来た人たちは、友達づくりのきっかけがなかなかつかめないでいるのではないだろうか。
そこで何か新たな取組ができないかと考えた。毎年新入社員の入社式は、それぞれの事業体で行われるが、これとは別に一堂に会した「津別町合同ガイダンス」的なものを開催し、町の様子や制度の紹介、アンドやテイクアクションのような若者集団からの活動PRなども含め、実利ある対面の場を計画してはと考えた。そして、こうした取組を進める主体は商工会がふさわしいのではと考え、さっそく中島商工会長に相談したところ快諾していただいた。
いま、役場も協力して内容の検討が進められているが、多分連休明けの開催になるのでは。この春津別町に就職された方たち全員に集まっていただき、交流のきっかけになればと願う。

ファイターズ今年こそ(令和6年4月)

球春到来。プロ野球のレギュラーシーズンが始まった。新庄監督の3年目、今年のキャンプやオープン戦の戦いを見ていると「今年は…」と大いに期待を持たせてくれる。
3月8日、さんさん館で北海道日本ハムファイターズ津別後援会総会が開催され、会員として出席した。この日球団からは、抽選会用の景品を抱えて野球教室コーチの立石尚行さんが来られた。立石さんは、市立船橋高校からNTT関東を経て、1998年のドラフトでピッチャーとして日本ハムから3位指名を受けて入団した。
総会でのスピーチで、現役時代に新庄現監督が選手として入団し、長い脚と漂ういい匂いは、まるでアイドルがやって来たようだったと回想された。新庄監督は2004年から3年間、選手として日本ハムに在籍し、入団時の記者会見での「優勝させる」という約束は、3年目の2006年に自身も初出場となる日本シリーズで見事日本一を達成し引退した。
北海道日本ハムファイターズは今年、球団創立21年を迎えたが、期待される選手がそれぞれ成長し、また入団した。同じ大学出身で3年目になる北山亘基くんには特に活躍して欲しい。彼のグッズも少しずつ集めているが、コントロールが課題のようだ。
後援会の今年の応援バスツアーは、6月22日の楽天イーグルス戦を企画するようだ。今のところ行事予定は入っていないので、まだ足を踏み入れたことのないエスコンフィールドに、ぜひ行ってみたいと思う。
昨年の夏まつりには、関係者の努力でファイターズガールの上村さんと大西さんがやって来た。そしてきつねダンスで会場を大いに盛り上げていただいた。また、少年野球教室やダンス教室も開かれ、津別の子どもたちはそれぞれに楽しんだ。子どもたちの笑顔はまちを明るくしてくれる。
 

続エコチル調査(令和6年3月)

環境省が中心となり「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」が開始されて13年になる。この調査は、平成9年にマイアミで先進8か国環境大臣会合が開催され、世界中の子どもたちが環境中の有害物質の脅威に直面していることが認識された。
これを受けて国内ではシンポジウムや懇談会などが相次いで開催され、東日本大震災が起こった平成23年に、妊婦、父親、生まれた子どもを含む約20万人の協力を得て、令和14年までの20年に及ぶエコチル調査が開始された。この調査は全国を15のユニットに分け、その一つである北海道では、さらに札幌、旭川、北見をサブユニットとして進められた。このうち北見は、北見地区定住自立圏内の市町村を対象とし、本町からも30名ほどの町民が協力している。
毎年1回、北見市にある日本赤十字北海道看護大学で北見地区運営協議会が開催され、調査状況の報告が行われている。調査開始後に集められたデータが分析され、研究論文としてこれまでに419本発表されている。今年も大変興味深い報告を聞くことができた。
例えば、1歳半時点の受動喫煙は2歳時のビタミンD不足と関連することが明らかになった。ビタミンD不足は身長の伸びを阻害する(年間0.6センチメートル)可能性がある。妊娠中の母親が発酵食品を多く摂取すると3歳時において睡眠不足のリスクを低減できる可能性がある。妊娠中の母親のたんぱく質の摂取が少ないと3歳時のコミュニケーション能力や問題解決能力の発達に遅れがある。2歳時にインフルエンザワクチンを接種した3歳児は25~42%感染リスクが減った。父親の積極的な育児への関わりが子どもに良い影響を及ぼす可能性があるなど、大変興味深い報告が続いた。
時間がたつのを忘れて聞き入り、津別町民もこうしたお話を聴ける機会があればと思う。

姉妹都市で 繋がる穴水町(令和6年2月)

辰年の幕開けに思わぬ惨事が待ち受けていた。子どもたちはお年玉に喜び、大人たちはおとそ気分で新年を祝い、希望を膨らませていた元日の夕方、石川県能登半島に大きな地震が発生した。この半島の中央部に穴水町があり、震度6強を観測した。
穴水町は平成16年10月17日、南アルプス市と姉妹都市協定を結び、津別町も同日協定を結んだ。南アルプス市は、平成15年4月1日に、八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が合併してできた市である。津別町は企業誘致で旧櫛形町と繋がり、穴水町は旧八田村と繋がっていた。
穴水町は平成3年に「全国穴水さん大会」を開催し、穴水という姓が全国で一番多かったのが旧八田村だったのを縁に、平成5年に姉妹都市を結んだと聞いている。
昨年10月22日に南アルプス市市制施行20周年式典が開催され、議長とともに出席した。その際、吉村光輝穴水町長と親しく懇談させていただいた。吉村町長は、社会福祉法人の理事長で、元町議会議長でもあり、令和4年1月、51才で無投票初当選された。長身で雰囲気はどことなく坂本龍一のように感じた。
そうしたことから、穴水町と津別町は南アルプス市を介した言わば親戚筋にあたる。市との交流は、隔年で小学生の相互訪問や、互いの特産品をイベント時に販売するなど、津別町と同様の交流を行っている。吉村町長は、穴水町は奥能登への玄関口だが、観光客は素通りしてしまう。そのため、「最果てへの入り口」と町をPRし、滞在者を増やす努力を続けていた。
津別町は被災支援の一環として、役場、スーパー、道の駅などに義援金箱を設置した。町長に電話すると、数多い避難所の対応や道路、水道、電気など社会インフラの復旧に全力を挙げているという。今後、南アルプス市とも連携し、できうる支援を行っていきたい。

忘年会と新年会(令和6年1月)

広辞苑を開いてみた。忘年会とは「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴」と書かれている。令和2年1月、日本で初めて新型コロナウイルス感染症が確認されて以降3年間、津別町においても忘年会は自粛され、開かれることはなかった。
忘年会の起源は、株式会社越前屋という仏具センターの資料を見ると、鎌倉時代までさかのぼる。優雅に厳かに連歌を詠う年忘れの行事で、江戸時代になって、庶民による現在に近い形になったという。慣例化したのは明治に入ってからで、政府の官僚や学生を中心に賑やかに行われるようになったと書かれている。
また、「忘年会」という言葉が文献に初めて登場するのは、夏目漱石が明治後期に書いた『我輩は猫である』と言われている。
12月に入り、4年振りに開かれるようなった各種忘年会に10回ほど出席した。もう若くないので、以前のように2次会、3次会への参加は自粛しているが、もう少し話がしたいなと思う時もある。
宴会を終えて家に向かって夜の道を歩くと、途中コワーキングスペース「ジンバ」やカフェ「津別珈琲」、ゲストハウス「なんもなんも」にあかりがついているときがある。幸町通りの賑やかだったころを思い出し、そのころには及ばないが、この三つのあかりは心を和ませてくれる。津別町に移り住んだ方たちが、古い建物を改修し、町にあかりを灯していただいていることに感謝したい。
一方新年会は、皇室や政府高官などを招いて皇居で行われる「新年宴会」が元になっている。飲食をともにしながら、仕事始めにあたって気持ちをパチッと切り替える場として開かれる。
1月の新年会への出席は、今のところ5回予定しているが、過度な飲食でさまざまな数値が上がらないよう気をつけたいと思う。

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